「金沢市民芸術村」は演劇、音楽、美術などの芸術分野において金沢市民が創作活動をする場として設けられた施設です。市が設置した施設ではありますが、運営は市民による自主的なものであるとされています。利用者も責任を自覚することで、24時間365日低料金で使用可能であったり、使用上の規則はできるだけゆるやかに設定していたりと、芸術を創造する上で大事な要素である「自由」を維持しているのです。
金沢市民芸術村では、市民による運営を円滑にするため、市民ディレクターによる自主運営方式を採用。ドラマ・ミュージック・アートの各工房のディレクターを立候補者の中から選出し、事務局と利用者の間に立っての調整や施設の運営などを行っています。中でも主な業務として定められているのは「アクションプラン」と言われる自主事業の企画・制作。市民の声を吸い上げ、自身の経験値を元にアートイベントを開催し、より多くの人に活用される施設となるよう活動しています。
ミュージック工房の新ディレクターに就任した福永綾子(ふくながあやこ)さんは、山口県出身で、金沢に居住を移したばかり。市民芸術村のディレクターには、町のことをよく知る金沢出身者がなることも多いですが、新たに移住した人ならではのこれから町を知ろうとする探求心を買われ、着任に至りました。
人が入れ替わることは、その場所の空気を変化させる要素のひとつ。そういった意味でも、今春、金沢の芸術を支えている市民芸術村に新たなディレクターが誕生したことは、金沢アート界においても大きなニュースでしょう。
今までどのような活動をしてこられたのですか?
元々、劇場建築や建築音響というものにすごく興味がありまして、音響技術の専門学校を卒業後、都市計画なども行う設計事務所で働きました。
そうこうしているうちに、なぜかアングラ演劇の代表的存在だった「劇団黒テント」の演出部に入ったんです。自分でも動機がよく分からないんですが、やはり劇場というものが好きで、劇場に関わりたいという気持ちがあったんだと思います。
この黒テントは、すごく音楽を大事に考えている劇団で、作曲家の林光氏や高橋悠治氏といった日本音楽界のそうそうたる方々と共同作業をしてきた歴史がありました。その一方で世界の民族音楽を研究して芝居に取り入れたり、音楽の習熟度にかかわらず劇団員自らが演奏するなど、自分が持っていた音楽の価値観を揺すぶられる経験も多かった。もとから音楽演奏は趣味的にやっていたのですが、舞台芸術としての音楽に惹かれる要因になりました。
現在はライブイベントの企画制作や音楽家・演出家のマネージメントをする会社をされているそうですね。
黒テント退団後に、演出家等のマネージメントや劇場の管理・スタッフの派遣を行う関連会社で働きました。劇団公演が縁で知り合った夫が音楽家だということもあって、音楽関係者の知り合いが増え、その制作やマネージメント業務を依頼されるようになりました。それが今の会社を立ち上げたきっかけです。
予算管理やスケジュール管理、関係各所との調整に広報と、幅広い範囲の仕事をしてきたので、そういった経験もこの市民芸術村で活かせたらと思います。
どういったイベントを手掛けてきたんですか?
音楽のジャンルは様々ですが、ちょっと変わった現代音楽や実験的な音楽の経験は特に豊富かもしれません。
例えば、コンピュータを用いたメディアアーティストとしても知られる作曲家・三輪眞弘氏がコロナ禍におこなった深夜の配信ライブは、制作だけでなく舞台監督も務めさせていただき、コンサートの常識を覆す演出が話題を呼びました。
他にも国際芸術祭「あいち2022」では、アメリカの実験音楽の巨匠、ジョン・ケージのオペラの日本初演で制作を担当しました。昨年末には金沢アートグミにて足立智美氏の音響詩パフォーマンスやライブセッションのイベントを主催し、地元での活動を開始したところです。
様々なイベントの依頼をいただきますが、なかなか難しい案件も多いんです。特殊な楽器が必要だったり、舞台上ではあまり類を見ない演出を希望していたり、予算があまりなかったり。ただ、私の場合はそういう困難な案件こそ楽しくなってしまうタイプなんですよね。
元々劇場が好きというところから芸術の世界へ足を踏み入れたとのことですが、その原体験は何だったのでしょうか。
子どもの頃、両親が地元の合唱団に所属していたことが関係していると思います。その定期演奏会が市の公民館や文化会館で開催されていたのですが、その場所がすごく好きだったんです。そこから劇場の建築に興味を持ちました。
実はこの市民芸術村にも、こけら落としに近い時期に一度仕事で来たことがあるんです。その時にとてもよい場所だなと思ったことを強く覚えています。
劇場というのは、人々が集まる場所であり、何か特別な体験をしにくる場でもありますよね。市民芸術村は目の前に広場もあり、いろいろな可能性を孕んだ設えだなと感じました。
そんな市民芸術村のディレクターになりたいと思ったのはどうしてですか?
市民による運営をしている施設だからこそ、この地域の住民として芸術に関われるのでは、と思ったからです。私が音楽の仕事をしている時というのは、観客をその地域の住民としてみることはあっても、その中に自分が入ることってないんですよ。私が住民として芸術を捉えたとき、何を観たいのか、何を体験したいのか、ということを考えたんです。
市民芸術村はどうやって私という住民を楽しませてくれるのだろうか、他の住民の方々と一緒にどうやって楽しんでいけるのか、と今までの活動とは違う視点で芸術に関わっていきたいです。
金沢で暮らし始めてみて、この地のアートシーンについて思ったことを教えてください。
金沢は、地元の方が思っている以上に芸術が身の回りにある贅沢な地だと思います。自宅の近くに三味線の稽古場があって、時折音が漏れ聞こえてくるんですよ。住宅街の中でそういった音楽が当たり前に聴こえてくるって素敵な風景だと思いませんか。綺麗でおいしい和菓子の文化に親しんでいることも芸術と関連づいているような気がしています。
他にも、テレビで地元のクラシック音楽団体のニュースを当たり前に報道していることや、学校の授業で能楽を鑑賞するということにも驚きました。地域で育まれてきた土壌は、大変価値のあるものだと思います。
福永さんは金沢に移住される前は海外に住んでいらっしゃったんですよね。
ドイツで数年間暮らしていました。そこで感じたのは、いかに生活の中に芸術が当たり前に存在しているかということ。西欧では歴史ある劇場でも1000円程でオペラやバレエを鑑賞できることも多いんです。1000円であれば、たとえその公演が面白くなくても、別の機会にまた観る気が起きるかもしれない。それがもし5000円だったら、なかなかそうはいかないと思うんです。気軽にアートに触れられる基盤というのはその地の文化を底上げするのだなと肌で感じました。
だからこそ、仕事で私に依頼をしてくださる方々には、助成金などを得て、なるべく入場料を抑えることを提案しているんです。市民芸術村の低料金で利用できるという仕組みも、自分の想いに通ずるものがあると感じています。
個人的な話ですが、今まででたった数回、作品を前にスッと腑に落ちた瞬間というか、ものすごく納得ができた瞬間があったんです。その感覚が忘れられずに、この世界に身を置いている部分も自分の中にあると思います。これこそがアートの醍醐味だと思うし、こういう経験をするためにはたくさんの芸術に触れていなければならない。だからこそ気軽にアートと触れ合えるということはシーンにとってとても重要だと思うんです。
ディレクターの業務の中で、大きな割合を占めるのがアクションプランの企画制作だと思いますが、今後やってみたいことはありますか?
もう一人の工房ディレクター(中埜忠紀氏)とともに、しばらくは前年に決めた企画を進めていきますが、漠然とした思いつき程度のこととしたら、せっかく24時間使用できる場所なので、何かを24時間やり続けるとか、1週間やり続けるとか、そういったこの場所ならではの面白いことを、アート工房やドラマ工房と一体となってできたらいいなと思っています。
基本的にはやはり市民の方やレジデントアーティストが求める企画を実現していくことがミッションだというのは理解していますが、それでもたまにそんな突拍子もない企画があっても楽しいんじゃないですかね。
はつらつとしていて、チャーミングな印象の福永さん。
そんな福永さんがこれから金沢市民芸術村の新たな風となり、どんな形で金沢のアートシーンを盛り上げていってくれるのか、期待が高まります。
(取材・文/西川李央)