アーティスト

桐谷さえり

Kiritani Saeri
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Profile

プロフィール
金沢市出身のアーティスト。
高校卒業後、アメリカへ留学。1992年にサンフランシスコ州立大学で学士号を取得、1993年にサンフランシスコ美術館で学士号を取得しました。1997 年にペンシルバニア大学で修士号を取得、その後 1998 年にニューヨークに移りました。 2022年末、個人的な理由もあり、クロアチアのスプリットに移動しました。 GALERIJA UMJETNINA・スプリット(2024年)、北カリフォルニア美術館(2024年)、ニューヨークの日本クラブギャラリー(2022年)、日本大使館広報文化センターなど、数多くの国際的な個展やグループ展に参加しています。 オーストリア・ウィーン美術アカデミー(2016年)、ニューヨーク芸術財団(2005年)、文化庁(2003年)、ポーラ美術財団(2000年)など、複数の助成金を受賞しています。
桐谷はまた、Goldman Sachs Gives (2018年)、St. Dalfour International (2019年)、Kerry James Marshall (2020年)、Sony Art Foundation (2022年) からも後援を受けています。
彼女は現在、英国ロンドン大学ゴールドスミス校で博士課程を学んでいます。

2024年 GALERIJA UMJETNINA/クロアチア・スプリット
2024年 北カリフォルニア美術館(MONCA)/アメリカ・北カリフォルニア
2022年 日本クラブギャラリー/アメリカ・ニューヨーク
2019年 在オーストリア 日本国大使館広報文化センターギャラリー/オーストリア・
ウィーン
2019年 バレン美術大学ギャラリー/アイルランド・バレン
2018年 金沢21世紀美術館市民ギャラリー/日本・金沢
2013年 ワシントンDCのスミソニアン国立肖像画ギャラリー/アメリカ・ワシントン
2013年 ポストマスター・ギャラリー /アメリカ・ニューヨーク
2013年 ボスニア・ビエンナーレ/ボスニア・ヘルツェゴビナ
2012年 東京都美術館/日本・東京
2009年 クロアチア芸術家協会美術館/クロアチア・ザグレブ
2004年 FAO (United Nation)国連米年作品展/日本・金沢/イタリア・ローマ
2002年 アペックス・アート/アメリカ・ニューヨーク
2000年 ボルチモア現代美術館/アメリカ・ボルチモア

Message

メッセージ
私の作品のメタファーは、常に「内」と「外」の関係に根ざしていると考えています。また、人生における「安定」と「混乱」という対照的な出来事を意識し、それらを探求し続けています。特に、表面的には安定している社会の裏側に焦点を当てたり、一般的には美しいとされないもの、時にはグロテスクだと捉えられるものや、つまらないと思われがちなものから美を見出すことに魅力を感じています。

幼少期に経験した出来事が、私のアートのメタファーに深く関わっているかもしれません。私は筋肉腫瘍の治療のため、2歳から4歳半頃まで放射線治療を受けていました。その際、放射線の影響を最小限にするため、治療前に局部を除いて身体を放射線予防の帯でぐるぐる巻きにされ、ベッドにベルトで固定されました。そして投射時には、息を止めなければなりませんでした。この体験が、内臓や血液など、普段目にすることのない「内部」に対する興味を引き起こしたように思います。

サンフランシスコの大学に通っていた頃、人物画の先生から「病院の死体置き場でデッサンをしてみてはどうか」と勧められ、カリフォルニア大学病院の死体置き場を訪れる機会がありました。病院の13階に位置するその場所は、大きな窓から広がる眺めが美しく、サンフランシスコ湾やアルカトラス島がはっきりと見える一等地でした。しかし、その広い部屋にはホルマリン漬けにされた無数の遺体が並び、切断された人体の一部がバケツ状の容器に収められていました。蝋人形のように血色のない肌や、甘く不思議なホルマリンの匂いが印象的で、リアルさと非現実感が入り混じった光景でした。

解剖された人体を目の当たりにしたとき、私は人間の「内側」の奥深さに驚きました。肌の厚さはほんの数ミリに過ぎない一方、その奥には内臓や筋肉、骨といった広大で複雑な世界が広がっています。それぞれに個性がありながらも一貫性を保つその構造には、美しさを感じました。それは、私がこれまで経験してきた知覚やイマジネーションを超えた未知の世界でした。このとき、私は薄い皮膚に覆われた身体の内部を表現することをアートの主題にしようと決意しました。

私たちの身体を覆う肌は、外見で人を判断するというステレオタイプを生み出します。しかし、肌の奥には異なる物語が詰まっており、私はその「内側」に注目したいと考えています。異なる人種や性別、地位、健康状態など、外見の違いを超えた人間の本質を探求したいと思います。また、傷ついた身体や動きに制限のある身体にも、宇宙的な美しさが宿ると感じています。

私の表現方法の一つとして、パフォーマンスアートがあります。パフォーマンスを通じて外見的なステレオタイプを超え、その過程を記録することで、アイデンティティや人との関係性を探求しています。また、ビデオ作品も私のアートにとって重要な要素です。病院や地下鉄、劇場といった公共の空間は、異文化が交錯し、ダイナミックな刺激を与えてくれる場です。これらの場所でアートを通じて一般の人々の関心を引き、社会に問いを投げかけることが、私の使命だと考えています。

アメリカに住んでみて、特に「食」に関して意識が高まりました。それは、西洋の主食が「パン」であることに気づかされたからです。日本では、毎日のように当たり前に食べていたお米が、アメリカでは特別なものになる。頭では理解していたつもりでも、実際に生活してみると、その現実が改めて実感として迫ってきました。「もしかして、私の身体の大半はお米からできているのかもしれない」。そう思った瞬間に着想を得て、作品の題名どおり「100ポンドのお米」で等身大の自分をお米で作ることにしました。

この米彫刻は、見る人によって異なる解釈を与えます。お米の山の上に堂々と立っているようにも見えれば、お米の山の中に崩れ落ちていく瞬間を捉えているようにも見えるのです。アメリカで生活する中で、私は社会的少数派(マイノリティー)として「お米を食べるアジア人」というカテゴリーに収まりました。同時に、お抹茶や緑茶を飲むことが特別な行為と見なされる人間にもなりました。英語を話してもアクセントがあり、習慣の違いも目立つ。私の故郷はニューヨークから見ると地球の裏側にあり、時にはアメリカという国自体が、異なる惑星にいるかのような感覚を与えるのです。

この異質な環境の中で、自分の存在が分裂していくような感覚を抱くことがあります。社会に溶け込みたいと必死になりながらも、同時に自分を意図的にアピールしようとする分裂した自分に気づかされるのです。もし日本で生まれ育ち、そのまま日本に住み続けていたら、この作品は決して生まれなかったでしょう。アメリカで生活し、異なる文化や社会の中で自分を見つめ直す機会を得たからこそ、この作品が誕生したのだと思います。