時々に思っていること、考えていることをフランクに、リアルに、友達に語るように、バトンリレー式につぶやいてゆくコラム『考える金沢人』第4弾!!
「遠藤茜さんから『コラムを書きませんか?』とご連絡をいただき、金沢在住ではない自分がお受けしてよいのか悩みましたが、この春、長年過ごした故郷を離れるころの出来事を書きとめておく機会をいただけたらと思い、ここに寄稿させていただきます。」
「ナナちゃんのこと」
雪の日にナナフシを見つけた。
2023年2月9日、洗面台に体長1cmくらいの小枝のような茶色い虫がのろのろ歩いているのに気づき、「ナナフシの幼虫だ」と思った。
検索するとよく似た虫の写真が出た。「卵で越冬し、春先に孵化する」とある。金沢はまだまだ寒いのに、衣服か荷物に紛れて我が家へ迷い込み、早めに孵ってしまったのかもしれない。越冬させてから外に放すのがよさそうだ。
チンゲンサイなどの野菜でも飼育できるとのことだったので、近くのマルエーで調達し、家にあった円筒状のタッパーの中で育てることにした。
翌朝、チンゲンサイの葉には小さな丸い穴が空いていた。
安直に「ナナちゃん」と呼ぶようになった。昼間はじっとしているので動く姿はあまり見られないが、朝見るとチンゲンサイが食べてある。小さな体でこんなにたくさん。愛おしい!
2月11日、ナナちゃんを母に任せ、新居を決めるため横浜を訪れた。内見をして契約という段で「男性同士のカップルは大家さんが何とおっしゃるか…」と言い出した不動産屋に「トランスジェンダーですが戸籍上は女性で…」と意味不明の言い訳めいたことをする自分にも、差別されたことに気づかない様子の連れにも腹が立った。「でしたら、”契約者との続柄”には”彼女”と書いてください」「”同居人”ではだめですか」「それだと通らない可能性があるので…」。
面倒になって応じ、手続きを終えて金沢へ戻った。
3月7日、タッパーの中に皮が落ちていた。脱皮だ。フンの掃除のついでに頂いた。直前までナナちゃんだったものがくしゃっと干からびている。爪楊枝の先にのせてしげしげと眺めていたら、鼻息で吹き飛んで見当たらなくなってしまった。
皮を脱いだナナちゃんはひと回り大きくなっていた。後で調べたら、皮は食べるものらしい。申し訳ないことをした。
翌日、白山市のふれあい昆虫館で《ナナフシのななふしぎ》展を見た。テレビで紹介されているのを見た友人が、一緒に行こうと誘ってくれたのだ。なんとタイムリーな。
野町駅から石川線に乗っていった。30年金沢に住んでいるが、この路線は初めて知った。
県内で見られるナナフシにはいくつか種類がある。エダナナフシやナナフシモドキは若い枝のように細長く色は緑か茶色、トゲナナフシの胴体は太めで背中にトゲが生えていて、色はほとんどが茶色。生体展示もされていて、体長10cmほどの成虫がわんさとケースの壁面に張り付いていた。大人もナナちゃんと同じく昼間は動かないようだ。
鶴来駅までの帰り道、木という木がナナフシに見えた。山々を跨いで巨大なナナフシがやってくる様を空想した。
展示資料からナナちゃんの種類を判別することはできなかった。エダナナフシやナナフシモドキより胴が太い気がするが、トゲナナフシのような特徴もないし…。輸入した荷物にくっついてやってきた珍しい種類かもしれない。もう少し大きくなったら分かるだろう。
ナナフシのほとんどはメスだそうだ。
ごくわずかのオスと交尾する以外は単為生殖でき、一生のうち150個ほど産卵するらしい。
単為生殖は昆虫に多く見られ、魚類や爬虫類にも例がある。子孫を残すのにパートナーがいてもいなくてもよい(受精しなくても発生が進む)ということらしい。分裂などで増える無性生殖とは違い、性別自体は存在する。メスの卵が単独で発生することを「処女生殖」という。ナナちゃんはおそらく「メス」で、「処女」のまま子どもをたくさん産むのだろう。
数年前に猫を保護した直後、貧血のため避妊手術が受けられないまま発情期を迎えてしまった。目をらんらんとさせ、ものすごい声をあげながら、ろくに食事も摂らずに四六時中ぐるぐると走り回り、日に日にげっそりしていった。手術の後、それらの行動は一切なくなった。
私は昨年からいわゆるホルモン治療をしている。テストステロンの投与で止まっているが、サボるとたまに月経が来る。意思とは無関係に、身体は隙あらば産む準備をしている。私はこういう生理現象が怖い。これが単に自分の身体違和なのか、ミソジニーを含んだものなのか、ずっと考えている。
3月13日、やっぱり気になってナナフシの画像を検索していると、「トゲナナフシ 幼虫」で出会った頃のナナちゃんがヒットした。トゲナナフシか…。昆虫館で見たトゲナナフシは、ごつごつしてトゲだらけで、かっこいいけど正直ややグロテスクに見えた。
エダナナフシだったらよかったのにと少しがっかりした直後、猛省した。私はナナちゃんを差別したのだ。されることには敏感なくせに、最悪だ。
でもナナちゃんがゴキブリやムカデだったら躊躇なく殺していただろうし…猫たちだってたまたま猫に生まれたからうちにいるのであって…。
3月22日、レンタカーと自家用車で荷物だけ先に新居へ運んだ。業者に頼む余裕はないが二人では人手不足のため、大学の同期と後輩に積み降ろしと運転を頼んだ。
23日深夜に帰宅すると、ナナちゃんが逆さ吊りで脱皮中だった。やや透明感のある緑がかった柔らかそうな体表が弱々しい。失敗するとそのまま死んでしまうかもしれない…。後輩のワイルドな運転で死を意識していた私は不安に駆られたが、ナナちゃんは無事脱皮を終え、体長3cmくらいになった。
トゲのある植物の葉を好んで食べるらしいが、バラやイチゴはまだ葉をつける時期ではないし、ツバキなどの常緑樹は全然食べてくれない。できれば金沢でお別れしたいのだが、どうしよう。ナナちゃんは本来ここでチンゲンサイばかり食べているべきではない気がするのに、どこに連れていけばいいのかわからない。
上司が世話を引き受けてもいいと言ってくれたので、最終日にナナちゃんを連れて出社した。パソコンの横にタッパーを置いて、ちらちらと見ながら仕事をする。上司が外回りに出る時間になった。その後は直帰するらしい。今決めなければ…。
「やっぱり連れて帰ります」と言ってしまった。
4月1日、猫たちに別れを告げ、母と卯辰山をドライブし、小立庵で蕎麦を食べた。会社の人がくれた餞別のお菓子の小さな紙袋にナナちゃんを忍ばせ、新幹線に乗った。iPadで映画を観ながら、なるべく揺れないよう袋を膝でそっと挟んでいた。先に入居していた同居人が駅まで迎えにきてくれ、初めての「同棲」が始まった。
4月3日、区役所の帰りにノイバラを見つけた。暖かくなってきたので、ナナちゃんが食べそうな植物を探すため電車に乗らずに河原を歩いていたのだ。ノイバラにはアブラムシがたくさんついていた。トゲに注意しつつ手折ると、マダニが手に乗り移ってきたので慌てて払った。水を張ったバケツにノイバラを沈めて虫を落とすことにした。
その後も色々な植物を試したが、チンゲンサイの他はノイバラしか食べてくれない。ある日、水に浸したあと拾い上げたらヒルが手に上ってきたので、採るのをやめた。危ないし、ナナちゃんのためという名目で虫やヒルを殺すのは、なんか違う。結局ほとんどチンゲンサイだけで、6cm近くまで成長していた。
4月27日、メルカリで買った無農薬イチゴの苗が届いた。もちろんナナちゃん用である。用意していた小さなプランターに植え、こちらも先日届いたメッシュ素材の大きなケースに入れた。タッパーは狭そうだったが、今度は広すぎて見失いそうだ。
植え方が良くなかったのか、イチゴはみるみる弱って枯れてしまった。以来プランターの上にはスーパーで買ったチンゲンサイを置いている。
5月4日、移住早々ではあるが、ナナちゃんを同居人に任せて金沢へ帰省した。
母とのんびりする予定だったのだが、祖母が危篤となり母は実家へ、私はリモートワークをしながら猫たちの面倒を見ることになった。
5月11日、葬儀のため沖縄へ向かった。猫は知人にお願いした。
火葬から納骨までを一日で済ませた。数年ぶりの祖母はきれいに化粧をされ、人形みたいな質感だった。現実味がないままお骨を拾い、墓に納めるのを見守った。祖父は長年寝たきりの祖母の介護を生きがいとしてきたので、「一緒になってくれてありがとう」と泣き崩れる様子には胸が詰まった。
性別不詳に育った私と一部親戚の間には微妙な空気が漂っている。葬儀では通常男女別で座るらしいのだが、混合になるよう年長のいとこが席順を計らってくれた(少々揉めたそうだが)。
祖父に「声が変わったね」と言われ、ホルモン投与で声変わりをしたためだが「この前コロナになって、まだ喉の調子が…」と逃げた。「彼氏と住んでいるって?一緒に遊びにきたらいいさ」「早く結婚しないと売れ残りだからね」。
いとこたちには知らぬ間に子どもがたくさんいて驚いた。「男?女?」としきりに尋ねてくる子には、大人気ないが優しくできなかった。
5月15日、帰宅。同居人とナナちゃんに「ただいま」をする。まだ街には慣れないが、私の拠点はここに移ったのだと感じた。
20歳のとき、父と祖母と四人で住んだ家から少し離れたところに家を借り、母との生活が始まった。地元の大学へ進んで、卒業後も二人で暮らした。きょうだいのように育った犬を看取り、しばらくして猫が来て、二匹になり、母は還暦を迎え、私は31歳で金沢を離れた。
家族ってなんだろうか。婚姻や血縁で定義される制度上のものはあまりピンとこない。
数年前に同居人のご両親に会ったことがある。「うちには男の子しかいないから、女の子が欲しかったんだよね」と言われた。歓迎してくれようとしての言葉だったと思うが、きっと私には応えることはできないのです。
カミングアウトは保留したままだ。
5月28日朝、脱皮後の色をしている。皮はもう食べきったようだ。体長は8cmくらい、すっかり成虫の見た目だ。ナナちゃんは大人になった実感ってあるのかな。自分の性について何か思ったりする?寂しいと感じたりは?
基本的にリモートワークなので、平日はナナちゃんの隣でパソコンに向かっている。窓を開けていると、心なしか気持ちよさそうに風に当たっていたり、私やカーテンの動きに驚いて物陰に隠れたりする。こんなことで外でやっていけるだろうか。ナナちゃんなら大丈夫だよね。そろそろお別れをしなければと思いつつ、踏ん切りがつかない。
6月17日、フンに紛れて木の実のような卵が落ちていた。そこでようやく決心がついた。冬を越させるだけのつもりが、もう梅雨を迎えている。つい愛着が湧いてここまで付き合ってもらってしまった。
同種でも地域によってDNAが異なるため、生き物は見つけた場所へ放すのがセオリーらしい。卯辰山がいいかな。犀川もいい。ナナちゃんはきっとあっさり去っていくだろう。
ちょっと前まであんなに小さかったのに、立派になったナナちゃん。まん丸の目がかわいくて、歩き方が面白くて、食べ方が豪快で、背中のトゲがかっこいいです。短い間だったけど、「ただいま」を言わせてくれてありがとう。卵たちと一緒に金沢へ帰ろうか。
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(2023/8月 次回、小学校の同級生で大学の先輩の、京都でギャラリーをやっている松本慎吾さんにバトンを渡します。)