文化
2025.03.25

日銀跡地その後レポート

文・写真:上田陽子(金沢アートグミ)
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文・写真:上田陽子(金沢アートグミ)
旧日本銀行金沢支店 外観

2025年2月19日。日本銀行は金沢市中心部にある、旧・金沢支店の建物と跡地について、金沢市と売買に向けた交渉を始めることになったというニュースが流れた。2023年度には「日本銀行金沢支店跡地あり方検討懇話会」が3回開催されており(懇話会の取りまとめは市サイトにアップされている。未見の方は拝読をおすすめしたい https://www4.city.kanazawa.lg.jp/material/files/group/2/torimatome.pdf)、村山市長の「日銀の跡地は、街の発展の起爆剤になる重要な場所だと捉えている。早ければ来年度末の取得を目指して、日銀との協議を本格的に進めていく」という言葉からも、この場所の新しい活用については今後さまざまに議論が展開していくだろうと思われる。


一体この日銀跡地はどうなるのが理想的なのだろう?


日本銀行は、施設や設備の老朽化等に伴い全国の各支店を新築移転しており、先行事例のレポートとその比較から、金沢における日銀跡地の可能性について想像していきたい。なお、今回はとくに、指定管理者制度によって施設運営がされている岡山支店の視察を中心に据えた。

事例1 旧日本銀行広島支店

旧日本銀行広島支店 外観

所有・運営:広島市
竣工時期:昭和11年(1936年)8月
延床面積:3,214㎡
構造:鉄筋コンクリート造り、地上3階地下1階
設計: 長野宇平治

原爆ドームから徒歩5分。路面電車の駅を降りてすぐ、金融街のメイン通りにある広島支店は、建物の構造はそのままに内部はきれいにリノベーションされている。(金沢で言えば「石川四高記念文化交流館」のようなイメージだろうか)1・3階は無料貸出スペースで、地下1階は常設展示「近代広島の歩みと海外移民」の会場だ。2000年7月に広島市に無償貸与され、2003年6月に「建物全体を市民主体の芸術・文化活動の発表の場として活用する」ことが決定、現在は「文化財としての公開とスペースの無料貸出」を行っているとある。


見学時、貸出スペースとなっている1・3階では近隣大学建築系の卒業制作展が行なわれていて、2階は施設についての解説パネルがさりげなく並んでいるのみだった。一般的に旧日銀の建物の地下には大きな金庫があり、金庫裏に人が通れる道がある設計となっている(防犯、水害予防のため)ようだが、地下1階の常設展「近代広島の歩みと海外移民」はそれを活かした導線設計がされていた。資料は意外に見応えもあり、広島の近代化を支えた銀行の地下で、南米や北米への移住政策が展開された歴史の一端を学ぶことができたことはとても有意義に思えた。


とはいえ、施設としては「文化財としての公開とスペースの無料貸出」が言葉通り実行されている印象で、省エネモードでゆるやかな空気感が漂っている。広島市は100万都市であり、商業地区も分散し金沢ほど「メインストリート」が明確でない。旧日銀広島支店に足を運ぶのは被爆建造物に興味のある人か近代建築好き、もしくは貸し/常設展示をみる人に限定されるような印象を受けた。

旧日銀広島支店は、「広島の近代化を支えた遺構の公開」という大枠が達成された広島市が運営する施設だ。地下1階の常設展は見応えがあるものの、公共施設らしいリノベーションがなされた地上1、2、3階の空間の何もなさが逆に際立ってみえる。「市民主体」の芸術・文化活動に任せるのもいいが、既に建物の整備も完了し常に公開しているのだから、あとは場を積極的に楽しんでいくためのシステム−責任を持って主体的に空間に取り組む人または組織がいれば、もっと魅力的な場所になっていくだろう。

事例2 旧日本銀行京都支店(京都府京都文化博物館 別館)

旧日本銀行京都支店 外観

所有:京都府
運営:公益財団法人京都文化財団
竣工時期:明治39(1906)年
建築面積:884.4㎡(別館本体)・181.0㎡(旧金庫棟)
構造:煉瓦造、地上2階、一部地下1階
設計:辰野金吾・長野宇平

京都駅から電車で10分。明治から昭和初めにかけて、郵便局、商店、銀行、保険会社などが集まりビジネス街としても栄えた三条通りにあり、近代建築もいくつか残りながら、大小様々な商店が立ち並ぶ一角にある。京都の代表的な洋風建築として重要文化財に指定されていることもあり、保存状態もよく、建築として見応えがある。

1968年に平安博物館(運営:財団法人古代学協会)として開館し、京都府の所有となった後、1988年から京都府京都文化博物館 別館となった。運営は公益財団法人京都文化財団が行っている。同財団は1980年の京都府文化懇談会による提言「京都の歴史、美術工芸等、文化全体を総合的に紹介する施設の開館」から発足した組織で、目的は「京都の歴史と文化の紹介」とのこと。

広島と同じように1階ホールは貸ホールとして多目的に、有料で貸し出されていた(訪問時は改修工事をしていた)。貸し区分は演奏会と展覧会の2つ、かつての所長室や応接室には店舗が入って、土日には建物外にてマルシェイベントも行われているそうだ。


財団の令和5年度報告書によれば、別館については利用者は14万3千人、稼働214日の中で主催事業が10日、ほかは貸しホールとして機能したそうで、基本的にはこちらも貸しスペースとして活用されている。京都文化博物館の企画事業は、中庭を通じてつながった新館で通年開催されており、空間のキャパシティや特性を踏まえ、「文化財建築の公開」を主軸としているように見える。


旧日銀京都支店は、重要文化財である建築を活かした、益財団法人京都文化財団が運営する施設だ。京都の文化芸術の当事者の多さから、可動率も高く、施設として需要・供給とも高い好バランスの運営を達成していると言えるが、運営者がいながらほぼ貸しスペース活用のみというのはやや残念に思う。旧広島支店ほどの大きさはないし、京都文化博物館別館として、もう少し活用方針が感じられるような主催の企画ないし、貸し/主催に関わらず、ここで行う催事の条件や基準があると、空間がもっと活きてくるように感じた。

事例3 旧日本銀行岡山支店(ルネスホール)

ルネスホール外観(提供:ルネスホール)

所有:岡山県
運営:NPO法人バンクオブアーツ岡山(指定管理者制度)
竣工時期:大正11年(1922年)
延床面積:2458㎡
構造:煉瓦造及び石造2階建、地下1階
設計:長野宇平治


岡山駅からバスで約10分、古くからあるアーケード商店街と岡山城の間、路面電車の通るビジネス街の一角にある。岡山県からの依頼を受け、地元の商工会等を中心とした県・市民で構成された「旧日銀岡山支店を活かす会」は1991年から約4年間で報告書をまとめ、2004年に同組織がNPO法人化。同年より指定管理者とし20年経った現在でも管理・運営を行っている。今回はNPO法人バンクオブアーツ岡山業務執行役員常務でありルネスホール館長兼事務局長である若林昭宏さんにお話しを伺った。


まず注目したいのは、ルネスホールとして開館するまでの経緯だ。地元商工会や町会役員を中心に県民、市民団体等によって構成された「旧日銀岡山支店を活かす会」は、開館までの4年間に、市民フォーラムやパブリックコメントを募集、各地への視察を行いながら、施設ライトアップ、事前コンサートなどを行い、「生音を活かした、飲食機能を有する文化芸術施設」という方向に整備が進んだという。現在もNPO法人の理事や役員、会員として活動するメンバーも多いという。旧日銀岡山支店の活用について時間をかけて市民ベース(商工会や町会役員が半数以上ではあるが)で意見をまとめ、具体的な運営体制を含めて岡山県に報告、提言をしていったことが、他の日銀跡地活用事例とは少々異なる点だろう。

発足当時から「持続可能な運営」が意識されたのも特徴的だ。現在、自主財源比率は50%を超えているそうで、指定管理者としてはかなり高い数字となっている。運営メンバーに経営者が多いことも関係するだろうが、クラシックの演奏会や音楽教室の発表会等の貸館が多い中で、ブライダルや企業の懇親会、宝飾品や呉服の展示会等の貸館事業も積極的に行い、運営を持続させていくための事業構造が作られていた。


関連して、今回とくに特徴として感じられたのは、NPO法人としての企画・運営についてだ。事業は文化振興、エンタメ推進、地域振興、ホール運営の4部門に分かれ、年間30~40本行う事業をそれぞれ部門毎で割って担当するそうだが、それらの企画運営は各部門に所属する「会員に一任」されている。さらに、事業を企画・担当すること自体はボランティアで、収入があがった場合は分配されるというシステムであり、館長は進捗を見守りつつも基本的には会員に任せるという姿勢をとる。有償で常駐するのは「ホール運営事業」を行う総務、ホール、カフェセクションの人々で施設管理スタッフのみだ。会員は、会費1万円を払い、手弁当で事業を行う。ただ、自由な企画ができること、建物や関わる人々に愛着があること、それぞれの関係性の中でメリットを感じ参加しているのだという。現在会員は40名ほど、会社経営者、会社員、自治体職員、アーティストなどさまざまな職種の人が集まり、年代としては60~70代が多くなっているとのこと。


2023年の利用者は3万人超、稼働300日。建物の特性や会員の層によってクラシックやジャズ等音楽分野に重きがあるものの、基本方針「安価で上質な芸術を県民のみなさまに提供する」「岡山県出身・在住のアーティストの支援をする」に準じた、実直な運営・管理が行われていた。


旧日銀岡山支店は、市民有志の「旧日銀岡山支店を活かす会」による「生音を活かした、飲食機能を有する文化芸術施設」という提言を下敷きに改修が行われ、NPO法人バンクオブアーツ岡山によって運営が行われる施設だった。旧広島支店に「四高記念文化交流館」のような印象を受けたのに比べて、こちらは改修後のイメージとしては「しいのき迎賓館」を感じさせるものがある。持続可能的な運営という方針がオープン当初から一貫しているのも強みで、岡山市民による市民のための企画が行われている。少し残念なのは積極的に行っている年間事業の情報やアーカイブが見られないこと、そして「活用されること」が念頭に置かれたからか、近代遺構として考えると改修部分が多いところとだろう(誰にでも使い勝手がいいとも言える)。開館20年が経ち、自主企画を「愛着」でもって支えるNPO法人会員が高齢化してきている現在、どのように世代交代を図っていくのかが今後の肝となるだろう。

1階多目的ホール(提供:ルネスホール)

今まで広島、京都、岡山での旧日銀跡地の活用事例をさらってきた。あらためて、旧日本銀行金沢支店の建物とその特性についても整理してみたい。

竣工時期:昭和29(1954)年
延床面積:4,800㎡
構造:鉄骨・鉄筋コンクリート造、 地下1階付地上3階建
設計:山下寿郎

金沢駅からバスで約10分、金沢駅から兼六園・金沢21世紀美術館までつづくメインストリートの要所にある。江戸時代には加賀藩主前田利家の奥方まつの実家があり、戦国時代までは金沢最古の神社 (旧石浦山王社)があったとされる。日本銀行は地元経済界からの要請から、明治42(1909)年に香林坊に開設され、昭和29(1954)年に現在の建物が建設されたそうだ。

2020年に開催された認定NPO法人趣都金澤による「日銀跡地の未来」ワークショップ資料より

旧日銀他支店と金沢支店を比較した時、何より際立っているのはやはりその「立地」と「周辺環境」の良さではないだろうか。市民も観光客も多く使う主要なバス停があり、駅から近江町市場、兼六園や金沢21世紀美術館を結ぶ中継地にある。商業地区の真ん中にあるものの、経済効果のみで開発を進めて良い場所とは言えない、そのような立地である。建築、プロセス・運営、機能について、他支店との比較を踏まえ、整理してまとめてみる。

建築について

建物の近代建築としての歴史的・文化的価値についてはまだ考証の余地があるように思うが、市内には藩政期や明治の遺構が数多く残るなか、昭和中期の建物が数少ない。金沢において、交通の発展とともに金融街形成の先駆けとなった「金沢の近代化の遺構」として、他支店のように残しながら活用することに概ね異論はないだろう。

プロセス・運営について

岡山のルネスホールのようなプロセスー実際に日銀跡地を使って活動を続けたいメンバーや組織によって、方針や運営・管理について時間をかけて検討することができると、構想と現実に乖離が少なく、持続可能な運営につながっていく可能性があるのかもしれない。旧金沢支店の空間を整えて整備をすすめる前に、主体的かつ継続的に運営を考える主体同士での議論や、場合によっては具体的・実験的なパイロット事業の開催などにより市民参加の機会を生み出しつつ、場の意味や特性、改修の考え方など定義していくことができるのではないだろうか。

機能について

視察を終え、あらためて旧金沢支店は立地環境からしてもより使い手のある、単に貸しスペースとするだけではもったいない地域資源であることを再認識した。そもそも人の流れの多い界隈だが、だからといって単に観光のみに偏るのではなく、できれば市民も日常的に使える空間機能の可能性を担保し、あるいは「文化芸術」の専門性のある個人や組織との連携など、金沢に新たな多様性、さらなる文化創造の循環を生み出す拠点となるための十分な可能性を持つ場と思える。

私が理事をしているNPO法人金沢アートグミは、実際にオープンできるかも分からなかった時も含めて3年ほど、建物に関わりたい市民が集まって、建築、プロセス・運営、機能について話し合い、持ち主である北國銀行と協議を重ねて今の形になっていった。日本銀行旧金沢支店も、今残っている建物や空間、周辺環境を踏まえた、旧金沢支店らしい方針や運営・管理が探られるといい。引き続き大きな期待を持って、この資産の経過を観測し、今後について考えて行きたい。