文化
2023.05.31

表現活動は誰のもの?──Dance Wellと社会包摂|黒田裕子

はじめに

ある日、アーツカウンシル金沢から「アートと社会包摂」をテーマに書いてほしいとお話しを頂きました。改めてフリー百科事典Wikipediaで「社会包摂」の語彙を参照してみます:

社会的包摂(しゃかいてきほうせつ、ソーシャル・インクルージョン、英: social inclusion)とは、社会的に弱い立場にある人々をも含め市民ひとりひとり、排除や摩擦、孤独や孤立から援護し、社会(地域社会)の一員として取り込み、支え合う考え方のこと。社会的排除(しゃかいてきはいじょ)の反対の概念である。

「アート」はとても広い概念なので、実践者としてアートの中でも国内外のパフォーミングアーツ(舞台芸術)を通したプログラム(公演、レジデンス、地域交流プログラムなど)の企画制作に関わってきた目線から、いま思うことを書いてみます。

スポーツとしての車いすテニス

いきなりジャンルを飛躍しますが、車いすテニスのお話しから。2023年1月に現役を引退された車いすテニスの第一人者、国枝慎吾さん。国枝さんはテレビのインタビューで「車いすテニスというスポーツとして皆さんに楽しんでもらいたい、興奮させたい、という思いが強かった。」「スポーツとして届けないと共生社会も実現できないのではないか、という思いを現役時代に信念として思い続けた。」と仰っています。実際、国枝さんのプレーを観戦すると、プレーヤーの動力が車いすであることなど関係なくそのスピードとパワーとカッコ良さに目が釘付けになりました。そこにはただ車いすテニスというスポーツのドラマを、固唾を飲んで見守る「観客」の目線があるのみです。他のパラリンピック競技でも同じような感覚でご覧になった方も多いのではないでしょうか。国枝さんが仰っていることは表面的な形式を繕うことではなく、社会包摂や共生社会が目指す「意識」や「状態」を端的に表していると思います。

デフ・パペットシアター・ひとみ

いまだに忘れられない舞台観賞体験があります。神奈川県川崎市を拠点に活動している「デフ・パペットシアター・ひとみ」の「わんぱくスサノオの大蛇退治」という看板演目です。「デフ・パペットシアター・ひとみ」は、ろう者と聴者が共に作品をつくり公演活動を行なっている人形劇団です。ほぼ等身大の手作り人形と人間が様々な役柄を演じ分けた見事な舞台作品でした。演者はろう者と聴者の混成チームなのですが、誰が聞こえていて誰が聞こえていないのかなど見分けがつかない躍動的なパフォーマンス。セリフがなくても視覚と知覚でストーリーを伝える力量に感服です。観客はろう者、聴者、子どもから大人まで誰もが楽しむことができ、鑑賞後の後味は爽快でした。ろう者と聴者が協力して活動を行なっている日本で唯一の人形劇団だそうですが、唯一、と言わなくてもよい時代になるといいですね。興味のある方はHPをご覧ください。

Dance Wellの世界観

私が2018年に出会い、現在に至るまで金沢を拠点に仲間と共に任意で活動しているDance Well(ダンス・ウェル)についてご紹介させてください。Dance Wellはイタリア北部、バッサーノ・デル・グラッパという人口約4万2千人の町で2013年から実施している、パーキンソン病と共に生きる人たちを含む誰もが参加可能な身体で表現するプログラムです。ここはダンスの「技術」や「型」を習得することが目的ではありません。未経験でもどのような身体の状態でも、講師とのコミュニケーションが取れれば年齢問わず参加できます。そのため、病気や障がいなどがきっかけで社会との接点が希薄になった方たちにも敷居が低く、人との繋がりを感じられる場です。私たちの身の回りにある自然や歴史的な環境、アート作品が設置されている芸術的な空間など、感性をくすぐられる場を活用し、色や形、音や匂い、季節や言葉などから参加者ひとりひとりの五感や記憶を刺激し、そこから生まれる思いを表現し、交歓します。

バッサーノ・デル・グラッパ市立博物館を拠点に週2回、ダンス・ウェルクラスを実施。多くの市民やダンサーが参加し、リピーターも多い。毎夏、数週間にわたって町中で開催される国際舞台芸術フェスティバルでは、ダンスアーティストが市民参加者に振り付けし、作品を上演している。

私たちが金沢を拠点に実施するクラスには石川県内外から参加者(ダンサーと呼んでいます)が訪れます。パーキンソン病と共に生きる方やそのご家族、医療関係者、アーティスト、親子連れなど年齢も経験も身体の状態も異なる「身体を動かすことが好き」なミックスグループです。個性が混ざり合い、身体や心を解放し、オリジナリティ溢れる表現を生み出し、正解や不正解を問うことなく認め合う場です。ここではあらゆる固定概念や従来の「ダンス」の概念がアップデートされていきます。ダンス・ウェルのWellには「調子が良い」という意味のほかに「源泉」という意味があり、一人一人の豊かな表現の「源」を一緒に見つけています。月に一度、楽しく集まれる場を運営しながら、私たちの周りにある多様な生き方や価値観を認め合い、誰もが社会の一員として生きやすい社会となることを芸術的なアプローチから試みています。

Dance Wellの景色

では実際のクラスの一端を画像と共にご紹介します。

初めてのダンス・ウェルトライアルクラス(会場:石川県立歴史博物館、2018.11.4)。
座った状態でのウォーミングアップから始まり、身体も雰囲気も温まってきたタイミングで立ち上がって講師のファシリテーションで思い思いに動きながら、身体でおしゃべりを楽しみます。立つのがしんどい場合は座った状態でおどります。

コロナ禍ではオンラインクラスを何度も開催。画面越しに講師が投げかける夏に特有の言葉からそれぞれの居る場所で動いていきます(2021.8.7)。

金沢アートグミ13周年記念個展 芝山昌也「すでにそこには石も波も気配もあって」展示空間で、作家の芝山さんと一緒におどりました(2022.5.21)。作品から得た印象を身体で表現すると、作品がスッと身体に落とし込まれるような感覚を味わえます。

おどった後はお話し会でダンサーたちと気持ちや意見を共有します。感想を交換することで互いの意見に感心したり、自分の体験をより深く味わうことができます。ダンサーからは「こころが解放された」「自分の気持ちに向き合った」「身体で他者とコミュニケーションが取れて楽しかった」などの感想が良く聞かれます。

2020年夏、「TDN of TDP (three different nights of three different persons)〜3人の異なる人たちの、3つの異なる夜」というダンス映像作品を創りました。出演はダンス・ウェル石川の常連ダンサー2名とドイツ在住イタリア人ダンサーの3名。コロナ禍のため、振付家とダンサーは一度も対面で会うことなく作品を創作しました。興味のある方はトレイラーをご覧ください。 https://www.dancewellishikawa.com/works

多様なパフォーミングアーツの世界

先にご紹介したデフ・パペットシアター・ひとみやDance Wellは社会的課題を反映しつつも彩り豊かな表現活動のほんの一例です。赤ちゃんと大人が一緒に世界をつくるベイビーシアター、小学生とアーティストがクリエイションパートナーとして作品を作るライブアート、ジェンダーをテーマにしたLGBTQ当事者によるパフォーマンス、認知症をテーマにした当事者による演劇、肢体障がいのあるアーティストによるダンス作品、難民をテーマにしたツアー型屋外演劇、歴史をテーマにしたレクチャーパフォーマンス、テクノロジーと融合した作品等々。国内外には題材を問わず独創的な表現を発信している芸術団体や、それらの作品を上演するフェスティバルがあります。

(参考)

表現活動はみんなのもの

いま「包摂」「多様性」「共生」を掲げているのはそのような社会/世界が実現できておらず、そこに多くの可能性が眠っているということです。表現活動は社会や私たちの意識を反映させる絶好の機会であると同時に、未来への変化を導き出す力を包有しています。それは一部の人だけに与えられた特権ではなく全ての人が観客として、参加者として、表現者として関わることが可能です。私たちは生まれてからこの世を去る時まで、表現活動との接点が度々訪れます。多感な時期も年齢を重ねた後も、元気な時も、落ち込んだ時も、気持ちを代弁してくれたり寄り添ってくれたり、刺激を与えてくれたりします。私たちは何者なのか?社会はどうあればいいのか?人生への理解を深めるための対話や議論の機会を全ての人に提供することができます。元来、表現活動は包摂な性質を持ち合わせているのだと言えます。

国枝さんが車いすテニスをスポーツとして浸透させたいと仰っていた「意識」が車いすテニスの世界を刷新してくれたのと同様に、「表現活動はみんなのもの」として当たり前のように関わっていくことが「包摂」が当たり前の社会へと繋がっていくことを願って。

画像全て:Dance Well石川提供(転載禁止)

Profile
舞台芸術プログラム企画制作者
黒田裕子
大阪の一般企業に勤務後、東京で音楽家マネジメント、イベント/舞台企画制作に携わり、2008年より金沢21世紀美術館に勤務。国内外のアーティストと市民を繋ぐパフォーミングアーツ公演、レジデンスプログラム、地域交流プログラム等の企画制作を行う。2022年に退職してフリーランスに。2018年に任意活動のDance Well石川実行委員会(現Dance Well石川)を仲間と共に立ち上げる。 Dance Well石川共同代表、特定非営利活動法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)理事。一般財団法人地域創造/公共ホール現代ダンス活性化事業コーディネーター。2023年より京都を拠点に複数プロジェクトに参画。
大阪の一般企業に勤務後、東京で音楽家マネジメント、イベント/舞台企画制作に携わり、2008年より金沢21世紀美術館に勤務。国内外のアーティストと市民を繋ぐパフォーミングアーツ公演、レジデンスプログラム、地域交流プログラム等の企画制作を行う。2022年に退職してフリーランスに。2018年に任意活動のDance Well石川実行委員会(現Dance Well石川)を仲間と共に立ち上げる。 Dance Well石川共同代表、特定非営利活動法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)理事。一般財団法人地域創造/公共ホール現代ダンス活性化事業コーディネーター。2023年より京都を拠点に複数プロジェクトに参画。