コラム文化
2026.02.10

【後編】レポート|Deepな沖縄を感じる旅

【前編】レポート|Deepな沖縄を感じる旅

前日に全編通して6時間を超えるアーツカウンシルネットワーク(AC-net)ミーティングを終え、全国から沖縄に集まった私たち30名余は、沖縄県文化芸術振興会(沖縄アーツカウンシル)主催の日帰りツアー《Deepな沖縄を感じる旅》に参加するため朝8:30に沖縄県庁前の広場に集まった。曇り時々雨という天候を心配したが催行には支障ないらしく、予定通りバスに乗り込み那覇市を出発した。

旅の案内人は、沖縄ファミリーヒストリープロジェクト実行委員会に携わっているという株式会社さびらの安里あさと拓也さん。普段から中高生の旅の解説役を務めているそうで、バスの移動中終始、ユーモアたっぷりに通過点や目的地に関する情報を語ってくれた。今回の旅は、いくつかの受け入れ先や関係者にかつてカウンシルが支援した団体や個人の協力を得ているとのことだった。

案内役の安里拓也さん。移動中ほとんどの時間、豆知識や小噺で楽しませてくれた。
《Deepな沖縄を感じる旅》のしおり。

最初に到着したのは宜野湾市の佐喜眞美術館。この美術館は米軍普天間基地の一部をコの字型にくり抜いた敷地に建っている。丸木位里・俊夫妻による「沖縄戦の図」など、沖縄戦を戦争画等の美術作品によって伝えていく目的で、現館長が国に上申し基地の一部を取り返したそうだ。それだけでも1本のドラマにできるであろう、館長の思いの強さがわかるエピソードである。

美術館外観
美術館の横には館長・佐喜眞道夫氏のご先祖の、立派な琉球式の亀甲墓が鎮座している。これもあり、氏は敷地を取り戻そうという気持ちがとても強かった。
屋上から眺める向こうは普天間基地。宜野湾市のおよそ4分の1の土地を占め、住宅地の真ん中に位置する。

展覧会は「戦争をみた画家 ケーテ・コルヴィッツ・浜田知明 展」。戦争による暴力性、悲惨さ、人間の無力さなどを無言で伝えてくる、胸が締め付けられるような作品が並ぶ。

「沖縄戦の図」の展示室は、撮影が一切禁じられている。作者である丸木夫妻は、1980年代、実際に沖縄戦を体験したたくさんの島民からその話を聞き、美術館の収蔵作品である「久米島の虐殺 おきなわの図」「集団自決 おきなわの図」「シムクガマ 読谷村三部作」など数々の戦争画を描き出した。展示室の中には、戦争の様子を語り涙を浮かべるたくさんのおじい・おばあの写真もたくさん貼り出されていた。

縦4m・横8.5mの「沖縄戦の図」の前で学芸員の方から作品の解説があったあと、その作品を前に三線と組踊くみおどり(伝統舞踊)による沖縄芸能の披露があった。15分ほどの短い公演に心を奪われる一方で、凄まじい悲劇を呼んだ沖縄戦の根底に生き続けてきた、はるか昔から守られ人々を癒してきた芸能の存在ーーその恐ろしさと尊さのギャップに息を吞む時間となった。

三線の波平宇宙なみひらひろとさん(右)と舞踊の仲嶺夕理彩さん(左)。

三線の波平さんが「僕たちはこうやって、この芸能で戦中・戦後を乗り越えてきた」と笑顔で語った言葉は比喩ではないだろう。観光でも娯楽でもなく、想像し切れないほど多くの人々の思いの上に成り立ち現代も絶やされずここにあることの重み。20代の波平さんが沖縄伝統芸能の歴史の担い手となり、その脈々と受け継がれるありがたさを実感しているからこその発言であったと思う。

名護市に移動した私たちが次に到着したのは、建設中の辺野古基地を臨む瀬嵩の浜。名護市議会議員などを務めている東恩納さんから、辺野古基地建設にあたっての問題点、ご自身で行なっている活動、環境への影響などが語られた。「普天間問題」「辺野古基地」などニュースなどで聞いたことのあるワードを眼前に突きつけられ、当事者の話を聞くことができる貴重な機会であった。

オレンジのブイから向こうが、建設中の辺野古基地。
東恩納琢磨さん

昼食を挟み到着したのは、ハンセン病患者の収容施設である愛楽園。屋我地島に建つこの施設の興りは、隔離政策が始まってから差別を受け続けた患者自身の「ここに誰にも邪魔されない私たちの療養所を作ろう」という提案からだったという。土地を自費購入した青木恵哉という人物のこの動きを、政策に難航していた行政は積極的にサポートした。結婚は許可されたが妊娠・出産は許されなかったこと、患者が受けた差別、戦時中の過ごし方…など、重く生々しい歴史を学芸員の解説や展示によって知ることができた。

敷地全体は約10万坪と広大で、現在でも約90人の患者が療養しており、ここで生活が完結できるよう医療機関はもちろんスーパーや教会、面会者のための宿泊所、広場などもある。かつては小学校なども建てられた。雨天だったこともありゆっくりと敷地内を巡ることはせず、交流会館と納骨堂のみ足を運んだ。

納骨堂のあるこの場所こそが、まさに発祥の地とのこと。ハンセン病患者でキリスト教伝道師の青木恵哉が、ここを含む約1000平方メートルを自費購入したことから愛楽園は始まった。
約10万坪のうち、行ったのは右上の「交流会館」と「平安の苑」(納骨堂)のみで、敷地に散らばる遺構にを訪れられなかったことが悔やまれる。愛楽園は1945年の爆撃によって建物は徹底的に破壊されたが、当時の913名の入所者のほとんどは早田壕(防空壕、画像中央上)に避難したことで助かっており、爆撃で亡くなったのは1名のみ。しかし、栄養失調や感染症の流行により3分の1が壕内で命を落とした。

最後に訪れたのは、名護市で昼食をいただいた食事処「満味まんみ」の店主・満名さんのご自宅で、豚の背脂で作る油みそを用意してくださるという。満名さんの家は沖縄ならではの、屋根が低く開放的な間取り。この日の最高気温は20℃で、油みそができる間は壁が取り払われたリビングにあたる場所で過ごした。油みそは庭で、薪で火を起こした大鍋で作る。庭には他にも修復中の舟があったりシマクサラシと呼ばれる悪疫除けが吊るしてあったりと、今はほとんどないという沖縄の風習を残す場所だった。

油みそは、沖縄の伝統的な家庭料理。私たちが到着したときには、グツグツと大量の背脂が煮込まれていた。背脂がカリカリになるまで煮込んだら、味噌や黒糖などで味付けする。
油みそについて説明する満名匠吾さん

指ですくって一口だけいただいた出来立ての温かい油みその余韻を感じながら、私たちは約2時間の那覇市への帰路についた。油みそは、バス内でスタッフの方々がジップロックに詰め、全員分のお土産にしてくれた。

全体を通して明るく楽しい…とは言い切れない、まさにDeepでときに重たい、考えさせられる沖縄の側面に体当たりしていくような旅だった。また、博物館美術館鑑賞から現地の課題・文化について語る人々と関わり、総じて「伝えていかなければ」という強い意志というか、気迫のようなものを感じた。食事に芸能、美しい海など魅力満載の沖縄だが、国内唯一の地上戦の戦地という歴史を持ち、現在も日米基地問題など政治的課題を抱えていることも事実である。今回の旅を経験した上ならば、再度家族や友人と訪れたときには、沖縄の民謡や紅型の鮮やかさ、南国の明るい日差しがより輝きを増して見え、温かく私たちを迎えてくれることだろう。

最後に、この旅を主催・企画してくださった公益財団法人沖縄県文化芸術振興会(沖縄アーツカウンシル)の皆様に心より深く感謝申し上げる。

【前編】レポート|Deepな沖縄を感じる旅


佐喜眞美術館は、屋上とそこからの景色も見どころ。階段は6月23日の慰霊の日に合わせて6段と23段に分かれ、その日には小窓から夕日が差し込むつくりになっている。
「満味」では、豚料理を中心としたブッフェをいただいた。ンジャナ、ミヌダル、スーチカー、イリチー、イナムドゥチなど、聞き慣れない料理名ばかり。
バスを降りて瀬嵩の浜に向かう道中は、まさに南国のジャングル。
満名さん宅にて、ほぼ初対面の6名で臨んだ沖縄弁すごろく。現地の方に教えてもらいながら楽しんだ。
にふぇーでーびる、うちなー!

Profile
金谷亜祐美(かなや・あゆみ)
愛知県出身。高校・大学ともに美術系に進学。専攻は芸術学。大学卒業後はブライダル企業に就職。東京の大学・大阪の企業を経て、2013年より金沢市在住。2014年よりNPO法人金沢アートグミ・常駐スタッフとして、展覧会やイベントのほか、他団体が主催する市内のアートプロジェクトの企画やコーディネートを担当。
愛知県出身。高校・大学ともに美術系に進学。専攻は芸術学。大学卒業後はブライダル企業に就職。東京の大学・大阪の企業を経て、2013年より金沢市在住。2014年よりNPO法人金沢アートグミ・常駐スタッフとして、展覧会やイベントのほか、他団体が主催する市内のアートプロジェクトの企画やコーディネートを担当。