
協力:エチカ、伊東将太、株式会社プロジェクトデザイン アロマセレクト
編集・企画制作・聞き手:金谷亜祐美
「技術の等価交換プロジェクト」は、2024年に発足した表現者・文化人同士の技術交換の場です。長い文化史の中で個々に研鑽された技術を一過性のものにしないため、その貴重さに共感できる、ジャンルを超えた一個人同士がお互いの持つ技術を交換・消化し合います。
この記事では、一人の人間として接する対話と交流から見えてくる、それぞれの分野の長所や課題を対談形式でフィードバック。個人の技術への好影響や相互の分野への理解・土壌の深化を図ります。Vol.2では、即興表現を軸に北陸で活動する俳優・ダンサーの元井康平さんと、金沢を拠点とする美術家の吉川永祐さんにご協力いただきました。

「はじめまして」で石をひろう
──まず前置きとして今回お2人をピックアップしたのは、私から見て「身体性」に共通点があるというところがスタートでした。自分の身体を過去のものとして美術作品に落とし込む吉川さんと、即興という形式がゆえに身体そのものが現在進行形で作品となる元井さん。異なるアプローチを、一時的にインストールし合う機会になればと思いました。
そして、今回は先に吉川さんからの元井さんへのレクチャーとして「石をひろって磨く(!)」から体験していただいたわけですがまず率直に、話を聞いたときはどんな感想でしたか。

元井:最初は「かわいい提案が来たな!」と笑。クリエイションではないように感じたので、意図を一発で掴むことができなくて、「どういうこと…?」「ゆるくいく感じか…」と段階的に理解していきましたね。前回が演劇と伝統というわかりやすいものだったから、アクティビティというか、お出かけや遠足といった時間としてもいいんだ、と。結果的にはシンプルに楽しくて、考えを伝え合い言葉のやり取りをするにはとてもいい時間でした。


吉川:確かに今回のテーマからすると、僕が普段やっている制作は油絵など特定のメディウムで作品を作るというのが決まっているわけではないので…今は映像が多いけど、その過程ではいろんな素材を扱ってるんですよね。でも最終的なアウトプットのためにここ数年僕が意識しているのが、手癖や手遊びとして自分がやってしまっていることや日常、生活の中にあるものをいかにそのまま制作につなげるかということなんです。
その中でここ1、2年一番しっくりきているのが「石を磨く」なんですけど…でも、確かに自分以外の人にとってはただ石を拾って磨くだけの行為だな、と思いました笑。僕と同じように石好きの作家同士で拾いにいくのと違って、元井さんはコミュニケーションの方に興味を持ってくれて新鮮でしたね。


元井:割と童心にかえって、よく喋る子供みたいになっちゃってた笑。
石に対しては、アンカーを入れて大きく裁断していくといったダイナミックなことを考えがちで、磨いても短時間ではそんなに変わらない。今回はものすごい時間をかけてないから、変化の達成感まではまだ理解しきれてないですね。

──石に向き合うことは吉川さんにとっては大事な制作の過程であり、精神を落ち着けるような作用があると思うんですが、ほとんど初めましてのお2人にとっては良いコミュニケーションの機会になったわけですね。
即興による気づき
──それを経て今日、このトークの前に元井さんから吉川さんへのレクチャーを行なっていただきました。ストレッチに始まり基本的な体の動きの確認、そしてその動きを応用した身体的な交流が自然に始まって、最後に15分ほど音楽を流しながら即興でセッションする時間がありました。



吉川:レクチャーの中で、ゆっくり等速で動いて、気づいたらポーズが変わっている、という面白さを教えてくださいましたよね。僕の過去作に、石膏に埋め立てられるというのがあります。寝そべった状態の自分に石膏を少しずつかけていって埋まるまで、3時間くらい。最終的にそれを逆再生して大きく会場に投影するんです。
映像作品って人によって見る時間が違うから、石膏の山としか見えない人と、「人間出てきた!」「全裸だ!」と人間として見る人、あるいはそのちょうど間だけ見る人と、作品を見る経験が人によって違う状況を作りたかった。今日のセッションで体験しているときとその作品を作った時のタイムスケールが、快楽としては一緒だなと。僕は基本せっかちなので、強制的にゆっくり何かと向き合うというのをしたいんですよね。


吉川:僕の知り合いのおばあさんが、ボケ防止に同じくるみをずっと触ってて、20年くらいやってるからもうツルツルで。そういう、僕の想像力では到底届かないようなスケール感の物体に憧れがあります。モノとしてどんな作品を残したいかと言ったら、僕が死んで僕から離れても特殊な存在であり続けてほしいんです。
元井:いつの間にか動きが変わってるという話で、俺はそういう何かに徹してる人が舞台で一存在として加わってくれたら面白いなと思うタイプ。割と企画を組むときに演出として自分から依頼をかけることが多いので、「私これやります」というのがあると話が早いこともあって。舞台上で色々起こっても結局、例えばくるみを1時間いじってる人が一番印象に残ってる、みたいなことがあるから。単純に自分がそういう役割を持てばいいんだと思うこともあるけどね。

元井:これまでどっちかというと役者、ダンサー、音楽家とか、舞台上のプレイヤーと一緒にやることが多かったけど、今回は同じ演出仲間や舞台製作の仲間と喋ってるくらいの刺激があった。身体という共通点はあるけど全然観点が違っていて、色々繰り出してくれてるな、という面白さをだんだん感じてきたね。
──元々吉川さんは即興に対して苦手意識があると仰っていました。今日見ていて、前半は明らかに途中で笑っちゃったり反応に困ったりする様子があった一方、後半は集中してる感じがしたのですが、改めて全体を振り返るとどうでしたか?

吉川:二つあって、一つは「運動してるな」という実感。10代のころはスポーツをしてたので、整体で体の動かし方の癖などをお医者さんに教えてもらいながらよくストレッチしていました。今日の最初の方は、重心や個々の筋肉の動かし方を一つ一つ確認してくれたので、「こうすればいいんだ」というのが僕の中のボキャブラリーとして増えていったことで気が楽になりましたね。

吉川:もう一つは、さっき元井さんが、演出家と話している感じと言ってくださったんですけど、同じようなことを僕も思っていました。僕は元々絵画を勉強していたんですが、絵の具の置き方や筆致って結構画家によって、これが気持ちいい、こうじゃないと気持ちよくない、というこだわりがあるんです。
それによって何が描かれて、それを空間にどう構成するか、僕には大きくその3工程があって、最初のストレッチが筆致を意識する感覚に似ていて、その後それを使って2人でどう動き体を動かすか、が何を描くか。その後の止まったり離れたり、空間の中にどう置くか…がインスタレーションしていく感覚で、身体かモノかという違いがあるけれども、そこは交換可能な感覚がありました。

元井:確かにその辺の反応は早くて、すごく素直な人だと思った。今日のやり取りでも、つべこべ言わないでやってくれる人だなと。「どういうことですか!?何でそんなことするんですか?!」というのはなくて、言葉少なに伝わるというか。迷いがあまりなかったよね。
吉川:あとシンプルに、久々に体を動かしてみて、意外とちゃんと動くなと思いました笑
元井:その感覚はすごく大事だと思うよ。空手の表現から動いてみようと言ったとき、最初「え、」ってなったと思うんだけど、「動けばわかる」って根性論でやってもらった笑。とりあえずまず普段どんな動きをやってるのか、やってきたのかというのを並べてみて、いろんな角度で減らして増やしてというのをやっていけば、技術がレイヤーのように重なっていくんじゃないかと思って。今日はそれができてよかった。事前に石を拾うやり取りでコミュニケーションをとっていたからいけたな、というのはあるね。

──個人的な話で私自身演劇などをみているときに役ではない部分の俳優さんの気持ちに共感しすぎて集中できないということがよくあるんですが、途中までの吉川さんにもそれを感じていたんです。でも、最後の15分のセッションではそれをほとんど感じずに純粋な鑑賞者として見ることができて、即興が自分の身になったというか、頭の中で整理できたのかな?と思ったんですがその辺りどうでしたか?
吉川:まず、その感覚にはめっちゃ共感します笑。自分がパフォーマンスするということへの苦手意識にもそれは大きく関わっていますね。今日に関していえば、最後のセッションでの発見は「休んでいいんだ」ということでした。

吉川:「こうしなきゃいけない」というのが無意識にできてたところを解きほぐしてくれて、なんとなく疲れも共有できてるんじゃないかな、と。集中度合いでいうと音楽をかける前の10分間くらいのセッションが一番集中していたし体もよく動かしていたけど、最後は「肩疲れたから、その代わり足を動かそう」とか「自分の体の動かすの疲れたら元井さんにからみにいくか」というバランスが取れたんです。もしあの最後の15分を1人でやれと言われたらしんどかったでしょうね。
元井:最後の方は人懐っこかったよね笑。「こんなことやっていいんだ」という発想は結構大事にしていて、日本が割と「〇〇はこうでなきゃ」とか固定されたイメージを押す人の方が強い社会だから、もっと自由に、いたずら心とか日本の礼儀作法から逸脱するものとか、倫理的にギリギリOKの表現ならあってもいいんじゃないか、って思ってる。舞台という空間の中ではフィクションとして許されるし、悲劇的なこと含めいろんなことが起こってもいい場所だから、そういうのを取り入れて複合的に考えたりして舞台に臨んでますね。


身体の交流で築かれる信頼
──終盤、客観的に見ていて吉川さんに元井さんの動きがインストールされてレクチャーが活きた体の動きをしている、と思った時間があったんですが、元井さんから見てどうでしたか?
元井:もし第2回目があったら、どこかで「真似して動いてみよっか」というのはやってたかもしれない。今日はでも、動きをフォローできる人だから自然にやれるだろうというのはお互いにわかったんじゃないかなと思います。よく音楽で例えるんだけど、ミュージシャン同士がセッションを始めたら「あ、こんな感じかこの人は」ってすぐわかるみたいな。それに近いものがああいうジャムにはあると思っていて、今日すっと始められたのも、ごちゃごちゃ言ってても始まんないからとりあえずやろっかって感じにした。頭でっかちになるよりは、動いてお互いに観察する中で考えた方が面白そうだなと。

吉川:今日は元井さんのワークショップの一参加者という立場に徹してました。たまに「今こっちにいた方が面白いな」と思ったらアーティストとしての人格を召喚してそれに飽きたら戻る、というのを繰り返して。元井さんの動きと似ていたのは、習い事モードでもあったのかも。
元井:即興ってすごく自由な世界だし普遍的だから、誰でもその経験をすれば良いと思ってるんだよね。即興だから真似しようとしても出来ない。消えて無くなるものだと思ってるからこそ、惜しみなくオープンソースとしてみんな体験すれば良いのにな、と。そこをなんとか追いかけてくれて、同じ動きをされるのは面白いね。それを真似出来ない人はたくさんいると思う。

吉川:それでいうと、武道や武術をやってると話が早いって仰ってたと思うんですけど、元井さんのパフォーマンスを見たとき、「四股立ちだ」「武道っぽい動きだな」と思いました。他の人のパフォーマンスを見る時も「この人こういうスポーツしてたのかな」と想像することもあるんですが、そこに共通言語みたいなものがあったのかなと。説明しやすかったって仰ったのに対して、僕も理解しやすかった。僕が主として持ってる「空手」という体の動かし方の拠り所が近かったので、より似てたのかなと思います。
元井:例えば何歩であそこまでいけるかっていう空間認知能力や、ダッシュして急に止まる、振り返ったときちゃんと真後ろを向けるとかっていう制動能力が根本的にしっかりあるから、話が早かったのもある。あとは体が強いよね。面白いなと思ったのは、俺が吉川くんに乗っかった時に「バタッ」て倒れたじゃん。あれって、ダンスとかだと止められるというか、意図的にやらないんだよね。痛いのもあるし、パフォーマンスとしてやってるかどうかを問われるから。あれをやった上でパフォーマンスを継続できるというのは、強いなと思った笑。

吉川:あれは…びっくりするかなと思って笑。自分の体のことを考えて「いけるな」と思ったし、空手の型を振りかぶったときに元井さんに当てちゃうかも、ということに関しても自分の身体感覚への技術的な信頼がありました。あと、もちろん元井さんへの信頼も。
──私は怪我しないことだけを願ってました笑。お互いに全く違うクリエイションの方向性のお二人でしたが、打ち合わせも含めて交流・交換の時間を持ってもらえて充実した時間となりました。今回は本当にありがとうございました!




