対談
2023.08.13

津田道子は金沢で何をするのか?(後編)|津田道子 × 星野太

ライター: 中井輪
編集: 金谷亜祐美
撮影: 奥祐司(OQ Works LLC)
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ライター: 中井輪
編集: 金谷亜祐美
撮影: 奥祐司(OQ Works LLC)

2021年、金沢美術工芸大学彫刻専攻にて教鞭を執るため、金沢へ居を移したアーティスト・津田道子氏。移住後3年目となり、教員として多忙な中でも制作発表や海外でのリサーチを絶やさず、精力的に活動している。2023年8月13日まで、金沢市内のギャラリー・金沢アートグミにて個展開催中の彼女と、同じく金沢美大で2016〜2020年の間教員を務めた星野太氏を対談ゲストとして招き、津田氏の金沢の自宅にて現在と今後の制作や関心事について話を聞いた。全2回連載の後編。
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まちと身体の関係

──身体って自分だけのもののようで、その土地から影響を受けてるんじゃないかなと思っているんです。オリンピックとかだけじゃなくて、人の身体作りも文化の一部ではというふうに考えています。」

津田道子:私はいつも海外に行くと体調が良くなるんですよ。日本に帰ってくると忙しいからか調子が崩れやすくて、定期的に海外に出て回復して帰ってくる感覚があるんです。海外に行くといっても私は欧米と東南アジアしかよく知りませんし、まだ仮説ですけど、欧米にいる方が身体に気づかえる感覚があります。身体って自分だけのもののようで、その土地から影響を受けてるんじゃないかなと思っているんです。オリンピックとかだけじゃなくて、個人の身体作りも文化の一部ではというふうに考えています。

星野太:いまの話は地域的な違いでしたけど、時代的にもありますよね。最近の若い人って、お酒を飲まないじゃないですか。むしろお酒を飲むことがダサイみたいな。ひと昔前は喫煙に対しても同じようなことが言えたけど、今の大学生くらいの子たちはお酒に時代遅れという感覚を持っていると思います。英語圏では「ソバー・キュリアス」(Sober Curious)、つまりソバー(しらふ)でいることに関心がある(キュリアス)という言い方をするんですが、身体に対する意識の違いは時代によってもあるなと思います。

津田:私達のときはまだなかったけど、飲まないことが選択肢としてしっかりありますよね。確かに年代によってもある…。だから、自分の食べるものとか運動の仕方というのは、自分の選択だけじゃないんだ、というところがいまの関心というか。ちょっとまだ自分の中で話がうまく繋がってないですけど、金沢の街の中で「水」がすごく印象的だと思ったんですよ。ここに引っ越す前、犀川沿いに3週間ぐらい住んでたんですが、その時に川があるからランニングが習慣になったようなところがあったんです。金沢は雨も多いですし用水も多いじゃないですか。だから、水に絡めてランニングルートを作れないかと考えたんです。

金沢の「水」を感じる街の写真 提供:津田道子

星野:津田さんはヨーロッパのいろいろな街を知ってると思うので伝わると思うんですが、金沢ってヨーロッパの都市に似てません? 川を中心に街が組織化されていて、だいたい徒歩圏内で一回りできるところが。僕も家が浅野川沿いだったので、水、というか川の印象はすごくありました。

津田:ドイツとかそうですね。デュッセルドルフは川で作られた街の感じがします。金沢には犀川と浅野川で川が2本あるじゃないですか。地盤が硬そうだし、私はマンハッタンと呼んでるんです(笑)。

星野:その連想はおもしろい。僕は昔フランスのリヨンにいて、そこもローヌ川とソーヌ川という2本の川で挟まれていたので、僕は金沢をリヨンだと思っていました(笑)。

津田:そういうところは地盤が強くて栄えるんでしょうね。マンハッタンは地層が特殊みたいで、すごく古い地層の岩に支えられていて、めちゃくちゃ硬いと聞いたことがあります。

金沢美大の教員として

星野:津田さんは金沢美大で教え始めて2年くらいですよね。美大にはかつて僕もいたので雰囲気がある程度わかるのですが、わりとアカデミックなカリキュラムが組まれてると思うんです。だからこそ、津田さんのように特定の手法や媒体にとらわれずに活動されている方が彫刻専攻で教えてる意味は大きいと思っています。これまでの教育経験から、金沢美大についてはどういう印象を持たれていますか。

津田:知らなかった美術教育を見ているという印象が強いです。私はいわゆる美大受験の勉強もしていないし、最初に学生として入ったところが先端芸術表現科だったので、学生がやってることと先生が扱うメディアは、かみ合わなくてもいいし、メディアから選ばないのが基本だと思っていました。そのときは先端自体の立ち上げの頃で、先生たちが「なぜ先端芸術表現科を作ったか」という話をまだしてました。その中で絵画や彫刻のような素材の選択から入るそれまでの日本の美術教育ではなく、やりたいことから素材を決めていく教育をしよう、といったことを話されていました。もちろん素材と向き合うことでやりたいことがわかってくることもありますが、「やりたいことが先にあるのは当たり前」と思っていました。でも今、私が学生の時の先生たちが言っていた「日本の美術教育」を目の当たりにしていると感じます。

学生時代の映像作品《Yeu & mo》(2007)のスチルカット。右端が津田氏。

星野:僕は美大出身ではないのですが、その感覚は結構わかるところがあります。僕も最初の入口が現代美術で、友達にも先端芸術表現科の人が多かったから、美大がそんなにメディアで分かれているという印象は全くなかった。ところが、2016年に金沢美大に来てみたら、油画は石膏デッサン、日本画は模写などから始まっていて、とても驚きました。

津田:静物模写ですね。最初に見た時は私もびっくりしました。

星野:そうそう、廊下にずらっと1年生の作品が並んでいるんですよね。それは悪く言えば蛸壺だけれども、良く言えば美術教育のディシプリンが残ってるということだと思います。

津田:彫刻専攻は一学年15人の学生が全員一人一体裸婦像を作るカリキュラムになってます。たくさん裸婦像がある状況を見た事がなく、新鮮だったんですけど、「なぜ裸婦像を作るのか」ということではなく、造形の訓練をしているんですね。1年目は新鮮すぎましたが2年目やってみて、素材やメディアと向き合うことから生まれる創造性は確かにありますし、それをしっかりと伝えようとする美術教育が保存されているのは、逆に貴重じゃないかと思うようになりました。

星野:よくわかります。僕も、来たばかりの頃はとりあえず前任の先生から言われたことをやっていたんですが、次第にそこに自分のテイストを入れるようにしていきました。カリキュラム自体は変えられないけど、自分の授業の枠組みのなかで、新しいやりかたを取り入れることはできる。そういうことを、2年目、3年目くらいからちょっとずつ増やしていったんです。

津田:あとは、女性の教員が彫刻専攻だと私で二人目だったんです。以前取材いただいた記者さんが調べたところ、大学が創設された最初の年に一人いらしたそうです。
 今は女性の学生が多いからか、他の専攻からも話しに来ることがあります。ジェンダーの問題を扱った作品を作っても考えてることが伝わってる感触があまり得られなくて、それが自分の未熟さゆえなのか理由がわからないからやらないでいたけど、取り組み始めた学生もいました。女性をもっと雇用しようと今はよく言われるのは、そういった学生のことを考えるだけでなく、アクションとしても大事だなと思います。
「女性でも男性と同等のキャリア・実力があるなら選ぶ」という考え方ではなく、同等のキャリア、実力をつけるまでの道程に差があるという背景への想像力が重要で、女性を積極的に採用することは、結果的にどの属性にとっても豊かさにつながると思ってます。私は、今の学生とも世代が違うと感じますし、昔からあるものとは異なる評価軸で学生たちが育つ環境を模索してます。特に美大だと講評もありますし、本当に学生の人生に関わることで、心理的な安全性を考えたときにも、教員の多様性が大事だと思います。

星野:本当にそうですよね。

これからの制作と関心事

──ここでやるのは引き倒しじゃないと思うんですよね。違うやり方、あり方が有効と思ったんです。」

星野:青森でもレジデンスされているんですね。これはACAC(青森公立大学国際芸術センター青森)でのお仕事ですか?

津田:レジデンスは2010年(*1)だったんですけど、2022年度は市内の彫刻のオーディオ・ガイドを作っています。

星野:へえ。

津田:オーディオ・ガイドは横浜のblanClass(*2)でも2017年と2019年に作っていて、井土ヶ谷や清水ヶ丘公園(*3)を巡り歩いて、トンネルとか通常のオーディオ・ガイドを付けるところじゃないところに付けて、そこの風景を見て歩きながら聞いてもらう作品でした。それをACAC学芸員の慶野結香さんが見ていたんですね。それで去年度にACACが20周年を迎えて、あそこは野外彫刻が多い場所なんですが、青森市内やACACにある野外彫刻やモニュメントについてのオーディオ・ガイドを作って欲しいとご依頼いただいたんです。「まさか」みたいなお話だったんですけど、やってみたいと思って。青森に縁を感じてるので。

撮影:宮沢響

星野:おもしろいですね。高山明さん(*4)のツアー・パフォーマンス的なところもちょっと…。

津田:高山さんの作品は、移民の方が経営するレストランで聞けるラジオなど、他にも体験したことあります。青森はちゃんとした歴史博物館がないんですが、そういう公共のところが作るものからは、少しずれたオーディオ・ガイドを作っています。多くの彫刻やモニュメントは、青森で出会った皆さんから挙げていただいて、声で出演していただいてます。録音はだいたい2022年夏に終わっていて、今はマップにしたり、長く残せるものになるようにしています。
 実は一昨年《彫刻をいたわる》(2021)というパフォーマンス作品を、学生たちと一緒に作ったのですが、最初は街中の彫刻にオーディオ・ガイドをつけようと考えてました。でも展覧会の運営的に現実的ではなくて、学生たちと話したり彫刻を見ながら考えたりしてるうちに、「固いですね。凝ってませんか?」みたいに彫刻に話しかけてみたら学生たちが乗ってきたんです(笑)。それで「やってみよう」と。

星野:あれ、すごくいいなと思いました。場所は白鳥路(*5)ですよね。あそこ、金沢に住んでたときにすごく好きだったんです。家から自転車に乗って美術館へ行くときにいつも通っていたんですけど、なんか彫刻がたくさんあるなと。だから津田さんが《彫刻をいたわる》を学生たちとやっているのを見て、「あそこの彫刻か…」という気持ちで見ていました。

《彫刻をいたわる》撮影:青山啓佑

津田:そうそう。あと、金沢市がまちなかの彫刻リストみたいなものを公開していて、数は何十…、百はないけど結構あるんですよ。そのタイトルを全部読み上げるといったパフォーマンスも考えていました。白鳥路は裸婦像が多いじゃないですか。実は、「ジェンダーをテーマにした作品を作りたい」という学生が何人かいて、私も専門じゃないので「一緒に考えよう」みたいなことが発端になった勉強会をやってたんです。最初はバトラーの『ジェンダー・トラブル』(*6)を読んだりする中で、「人体彫刻を作るとき、人体を対象としてのみ見ていた」とつくること自体の背景に疑問を持つ学生たちが何人か出てきたんです。裸婦像を見て、歴史的な背景を知らずに対象として女性の体を扱ってしまったことへの葛藤がすごく出てくるんですよね。彼女たちは、「この膝とかいいな」とか「これよくできてる」とかそういう造形の対象として裸婦像をずっと見ていたんです。でも、そう(ジェンダーの観点から)見られることもあるんだということにびっくりして、ちょっと戸惑う感じがあったので、「じゃあ白鳥路の裸婦像を扱ってみよう」と言ったんです。

星野:うん、うん。

津田:欧米の方で彫刻の引き倒しがありましたが、時代が変わって、銅像を置く意味も変化しますよね。白鳥路にあるような裸婦像についても、戦後の平和の象徴として建てられたり偉人の存在を示すために作られたものが、今の時代背景から見ると全く意味を成さないことがある。それに対して引き倒しをするという反応ではなく、「人体彫刻を作っていた作家たちが何を考えるか」というところから考え始めました。

星野:なるほど。たしかにあれは、ちょうどレオポルト2世像の引き倒しがあった頃(*7)でしたね。そのことも考え合わせると、いっそうクリティカルだなという感じがします。

津田:欧米は彫刻を象徴的に扱って「革命だ」みたいな感じで反応するけど、でもここでは引き倒しじゃない方法が考えられると思うんですよね。そういう人がいてもいいかもしれないけれど、違うやり方、あり方が有効と思ったんです。
「彫刻はいたわる対象でもある」という視点は、作品を見る人誰にとっても、作品やその周囲との関わり方へつながる問題かなと思うんです。またどこかでやりたいです。

星野:そうですね。今日、そのお話を聞けてよかったです。


(*1)《吃驚 BIKKURI》(2010、国際芸術センター青森)

(*2)blanClass(ブランクラス)は、横浜市南区の住宅街にある小さなスペースを拠点に芸術を発信する場として2009年4月に活動をスタートしたオルタナティブ・スペースのこと。(blanClassのHPを参照。https://blanclass.com/ja/about/introduction/

(*3)井土ヶ谷は神奈川県横浜市南区の地名。清水ヶ丘公園は同じく横浜市南区にある公園のこと。

(*4)高山明は、演出家。1969年生まれ。実際の都市を使ったインスタレーション、ツアー・パフォーマンス、社会実験プロジェクトなど、現実の都市や社会に介入する活動を世界各地で展開している。http://portb.net/ja/about/

(*5)石川県金沢市丸の内にある散歩道。

(*6)ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』(青土社、1999)

(*7)2020年6月9日、ベルギー北部アントワープにあるベルギー国王レオポルド2世の像が落書きされ、放火された後に撤去された。レオポルド2世は、19世紀~20世紀にベルギーがアフリカ中部のコンゴを植民地支配したときに、黒人労働者を搾取したとされている。


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Information
2023/6/3-8/13 金沢アートグミ14周年記念展 津田道子 so far, not far
金沢アートグミ14周年を記念し、アーティストの津田道子の個展を開催致します。
津田道子は2年前、コロナ禍のタイミングで金沢に移住しました。移住後始めたランニングをきっかけに、ダンサーとはまた異なるアスリートならではの身体との関わり方や、スポーツという、プレイヤーの裾野が広く誰にでも開かれている文化とアートの共通点を感じるようになったと言います。 
本展では金沢をフィールドに、「走ること」と「声にすること」に着目した新作の映像インスタレーションを展示致します。関連イベントとして、2023年度金沢21世紀美術館芸術交流共催事業 アンド21+に採択されたレクチャー・パフォーマンスとランニングのイベント 「and run」等も行い、展覧会を基点に、スポーツやアート、金沢というまちの捉え方が根底から変わるかもしれない様々な探索に誘います。
2023.6.3 Sat. – 8.13 Sun.
会場 金沢アートグミ|金沢市青草町88番地北國銀行武蔵ヶ辻支店3階
10:00 – 18:00 水曜定休 入場無料

主催 認定NPO法人金沢アートグミ
協力 北國銀行 TARO NASU
助成 澁谷学術文化スポーツ振興財団
機材協力 ARTISTS’ GUILD
Website
Profile
津田道子
(つだ・みちこ)アーティスト。インスタレーション、映像、パフォーマンスなど多様な形態で、鑑賞者の視線と動作によって不可視の存在を示唆する作品を制作。主な個展に、2020年「Trilogue」(TARO NASU)、主な展覧会に、2021年「アジア・パシフィック・トリエンナーレ」(QAGOMA、ブリスベン)、2020年「インター+プレイ展 第1期」(十和田市現代美術)、2019年「あいちトリエンナーレ2019: 情の時代」(伊藤家住宅)、など。2013年東京芸術大学大学院映像研究科で博士号を取得。2019年ACCのグランティとしてニューヨークに滞在。2021年より金沢美術工芸大学准教授。Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024 受賞。
(つだ・みちこ)アーティスト。インスタレーション、映像、パフォーマンスなど多様な形態で、鑑賞者の視線と動作によって不可視の存在を示唆する作品を制作。主な個展に、2020年「Trilogue」(TARO NASU)、主な展覧会に、2021年「アジア・パシフィック・トリエンナーレ」(QAGOMA、ブリスベン)、2020年「インター+プレイ展 第1期」(十和田市現代美術)、2019年「あいちトリエンナーレ2019: 情の時代」(伊藤家住宅)、など。2013年東京芸術大学大学院映像研究科で博士号を取得。2019年ACCのグランティとしてニューヨークに滞在。2021年より金沢美術工芸大学准教授。Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024 受賞。
Profile
星野太
(ほしの・ふとし)1983年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。専攻は美学、表象文化論。おもな著書に、『崇高の修辞学』(月曜社、2017年)、『美学のプラクティス』(水声社、2021年)、『崇高のリミナリティ』(フィルムアート社、2022年)、『食客論』(講談社、2023年)、おもな訳書に、リオタール『崇高の分析論』(法政大学出版局、2020年)、メイヤスー『有限性の後で』(共訳、人文書院、2016年)、マラブー『真ん中の部屋』(共訳、月曜社、2021年)などがある。
(ほしの・ふとし)1983年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。専攻は美学、表象文化論。おもな著書に、『崇高の修辞学』(月曜社、2017年)、『美学のプラクティス』(水声社、2021年)、『崇高のリミナリティ』(フィルムアート社、2022年)、『食客論』(講談社、2023年)、おもな訳書に、リオタール『崇高の分析論』(法政大学出版局、2020年)、メイヤスー『有限性の後で』(共訳、人文書院、2016年)、マラブー『真ん中の部屋』(共訳、月曜社、2021年)などがある。